映画版「3月のライオン」後編のストーリーが原作と違いすぎてひどい
映画版の「3月のライオン」後編を観た。羽海野チカの漫画を原作とした映画である。
前編はほぼ漫画と同様のストーリーであったが、後編では話の筋書きがおかしい点が多くて残念だった。原作よりも異様に登場シーンが多い人物がいたり、原作のメッセージがまるで違うものになったりしている。
以下の点について説明する。
■香子と歩の登場が原作より遥かに多い点
■ついでに後藤の登場も原作より多い点
■宗谷の耳が聞こえない話は必要だったのか
■父親の件:零が結婚を持ち出す話が、暴走の一部として語られる
■零が林田先生に対して、学校を辞めると言う点
■香子と歩の登場が原作より遥かに多い点
零はもともとの家族を交通事故で失ってしまい、次に養子に入った先の家族からも疎外される。この「養子に入った先の家族」での姉と兄(弟?)が香子と歩である。この2人の出番が、原作よりもずっと多い。
香子に至っては映画サイトのキャスト紹介で2番目に登場する。原作ではあまり出番のないキャラクターであり、この位置に出て来ることにはかなり違和感がある。(2番目に誰がふさわしいかは難しいところだが、ライバルの二階堂晴信か、メインヒロインの川本ひなただろう。少なくとも香子ではない。)
原作の10巻の97話では、「この家ではもう 誰もこの子の名を口に出すものはない」(この家=幸田家、この子=桐山零)と書いてある。幸田家との繋がりがすっかり切れていることが読み取れる。養父である幸田父は色々と気にかけているようだが、他の3人との親交は断絶している。
「3月のライオン」は、家族という繋がりを持てなかった零が、川本家、学校の人たち、将棋仲間の人たちとの繋がりを築いていく物語だと思っている。
しかし映画では、逆に家族(幸田父、香子、歩)との繋がりを取り戻す方向でシナリオが展開している。零は自分が出る対局の観戦チケットを、わざわざ歩に渡しに行く。原作では幸田家に足を踏み入れることすらほとんど無いというのに。香子も新人戦に勝った零におめでとうと電話をかける。原作にはない描写だ。
原作の方向性とは正反対になっていて、 何でそういう方向転換が起きたのか疑問。原作で伝えたかった物語のメッセージをねじ曲げているようにしか思えないのだが。
■ついでに後藤の登場も原作より多い点
それに引きずられたのか、後藤正宗(香子の片思いの相手)の出番も妙に多い。
零は獅子王戦の挑戦者を決めるトーナメントを勝ち進み、後藤と対戦している。原作にはない展開である(原作でこれから書く予定だという可能性はある。映画サイトのプロダクションノートによれば、羽海野チカは漫画の最後までのプロットを映画製作者に伝えたらしいので。)後藤と香子の会話シーンも大幅に増えている。
これは推測だが、香子の役を演じる有村架純の出番を増やそうとしたら、香子と歩のストーリーが増え、後藤のストーリーが増えてしまったのではないか。有村架純が出てくるのに、漫画版の香子のような端役ではもったいない。では香子の登場を増やそう……という結果、今の脚本ができてしまったのではないだろうか。
終盤で有村架純が演じる香子が「この家は将棋に狂わされたのだ」と泣き崩れるのだが、それを見ていた私は「それをいうならば、この物語は有村架純(の出番の増加)に狂わされたのだ」と、なんとも滑稽な気分であった。
■宗谷の耳が聞こえない話は必要だったのか
宗谷の耳が聞こえない話、カットして良かったのでは?
その後のストーリーとの繋がりが無いため、時間制限がある映画の脚本の中で語る必要はないと思う。
(漫画でも、宗谷の耳の件はその後に繋がりが無い。これから何か絡んでくるのかな。)
原作だと、零が宗谷の異変に気づいて会長に電話をして、会長が宗谷の事情を説明するので、話が出て来る妥当性がある。
これに対し映画だと、上記の場面はカットされている。宗谷の対戦したあとの零が島本と話しているシーンで、島本が「じゃあお前も知ったのか」と言い出し、「え、何を?」「実は宗谷は……」と島本が説明に入る。映画だと島本が唐突に話を始めた感が強い。
なお原作では原因不明とされていたが、映画では「ストレスだろう」と理由が説明されている。
■父親の件:
映画後編の後半のメインテーマとして、「三姉妹のもとから出ていった父親の登場」がある。
映画のあらすじは以下のとおりだ。
父親の甘麻井戸誠二郎が突然登場、三姉妹との同居を提案
→零は誠二郎の状況を調べて暴露する
→零は「ひなたとの結婚を考えている」と切り出す
ここまではほぼ原作通り。しかしこのあとの筋書きは原作と異なってくる。
モモが誠二郎に連れ去られる。
→川本家と零のところ、に誠二郎とモモが帰ってくる
→零が激昂して、「あなたのような人間の屑が入り込むのが嫌いなのだ」などと誠二郎を罵倒
→あかりが「零くん、今日は帰ってくれるかな」と言い、零は川本家と距離をおく
→川本家の三姉妹が話し合って、誠二郎と一日遊んで回ることに決める
→三姉妹と誠二郎は遊園地と水族館を回る
→最後にあかりが離縁を宣言
→誠二郎が抵抗
→あかりが誠二郎を平手打ちし、「あなたと縁を切れるなら、何発でも殴ります」と言う。誠二郎がその場を去る(終わり)
零が「結婚を考えている」と発言したことに関して、美咲おばさんは明らかに否定的なニュアンスで語っている。
その後のシナリオと併せても、「結婚を考えている」発言は零の暴走の一部として描かれていて、そうじゃないよと思ってしまった。
「川本家に借りた恩を返すべく、誠二郎と対峙する零」が原作だとすると、映画では「川本家に借りた恩を返そうとして暴走し、誠二郎をむやみに罵倒し、結婚をいきなり切り出す零」という描き方になっている。わざわざそのように変えた理由が分からない。
(原作にも、零が対局の賞金を調べてあらぬ方向で解決をしようとする描写は少しあるが、それはメインの筋書きではない。)
■零が林田先生に対して、学校を辞めると言う点
映画では、 上記の父親の件で零が思い悩み、林田先生に「学校を辞めます」と口走る場面がある。結局は辞めるのを思いとどまるのだが、たとえそうでも「学校を辞めます」というのは零が言うはずのない台詞である。
零は2巻の13話で、高校に通う理由として「でも多分『逃げなかった』って記憶が欲しかったんだと思います」と語っている。
その後の展開のなかでも、(棋士でありながら)わざわざ高校に通うことについては何度か言及があったはずだ。したがって、間違っても「高校を辞めます」などと言うことは無いだろう。
以上、原作の漫画と違う点があまりに多すぎて、満足行くものではなかった。
羽海野チカの描く原作のフィナーレに期待するとしよう。